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 今いわゆる靖国神社参拝問題即ち日本国首相のいわゆる「A級戦犯」を祀る靖国神社への威風堂々たる公式参拝問題は東アジア諸国にとって、そしてまた日本自身にとっても大きな問題となっている。日本の国論は大きくは積極的参拝論者と自粛論者にほぼ二分されていると言ってよいようだが、実は必ずしもそうは簡単に言えない。

 この二分は信仰問題としてでなく政治問題として言えば、外交問題として対外的に考えるか、内政問題として内国的に考えるかの対立的問題として考えられているのでもあるようだが、そうであれば、その二分法は賛否の賛の立場からの色分けによるものであって、始めから参拝否定論は排除されているのか、そもそも存在しないのか、とにかくそこには見ることができないのが実状である。ジャーナリズムの問いの立て方によるのか、今なお変らぬ日本人の根底的真情によるとそうなる故か、せいぜいが「遠慮」すべきだというに過ぎず、否定的反対論とは程遠い。

 尤も、わかりやすくするため、即ち分けて紛れにくくし、別れやすくして分けやすくし、論争相手を説得しようとするためには説得相手を絞り込んだうえで、別の土俵を排して用意した土俵に乗せてしまっておくことが大切である。何しろ、古来日本では祟り神を中心に死者は殆どすべて等しく神となって善悪をこえてしまうものとされているのだそうだから。恐らくお手打ち的「統治」と裏腹に忤(サカラ)うなかれと極めつけられてきた手打ち的和の精神はそこに極まると言えようが、何はともあれ、真実を論理的に徹底させるよりも、とにかく、共通の「伝統的」土俵に乗せて思わせ信じさせ、是非善悪の追求心を奪ってしまうのがよい。

 万事考えやすくするためには、信仰と政治の両問題を別々に切り離して考えられるものとしても、逆に考えれば、信仰問題とは別の参拝否定論もあり、しかも一様でなくあってよい筈である。そして政治論の立場からは、特にいわゆる民主主義政治体制の下では、そもそも否定論などありえないかのような錯覚を起こさせるようなことがあってはならない。そしてまた輸入された西欧近代的近代社会の「国益」優先的思いとは別として、平和友好重視の国際政治中心の考え方からすれば、閉鎖孤立的国策を是とするのでなく、国際政治論の立場から国策的政策が国内統治的政治論を超えて築かれなければならないであろう。

 その国家的宗教的結社もしくは体制下の日本の歴史的事実において、国際社会における外国からの評価とその内にみられる価値観に対する日本の誓約ないし認容もしくは反発ないし硬化の実状がどうであったかを反省すれば、無邪気な国家神の崇拝を主張はできないであろう。

 勿論、反省の結果、過去の日本の対外的あり方に基本的な誤謬錯覚や非理邪曲があったと認められない、認める訳にはいかないのだという信念にもとづくならば、過ちを改むるに吝かであるなどというのではなく、どのような他国がどのように受け取ろうと我関せずとして非難をものともせず、場合によっては油然として力づくでその非難を捻じ伏せようとするのもわからないわけではない。もし、そうでないのなら、過つは人のこと、寛し恕すのは神のことであるという、率直に謝って憚ることはない筈である。

 ここで特にいわゆる市場的グローバリズムと自立性ないし自律性護持のための国家との間の矛盾を考え合わせれば、もっとも必要なのは政治論であるよりも、今日的な世界における日本国の位置づけのために日本国の独自性を示すような国体論を含めての「国家」に対する国家論的反省であるというべきであろう。

 敢えてどちらか分けて考えれば、私は参拝否定論、まったくの否定論の立場になるであろうが、見方を換えれば容易には説得しにくく、逆に私の方こそ相手を説得してしまおうという立場でこそなくまた態度ではないように心掛けているにしても、それにしてもそのような結構阿房な頑固者の姿勢になってしまい勝ちのようである。しかし、これこそ正しく論争姿勢と言うべきであろう。そして互いにそのような態度になって、ただし勝敗を離れた正しい論争の姿勢を失わない限り、そしてまた個人的心情もしくは信条を国際社会中の国家の政治的使命と責任を蔑ろにするのでない限り、そこにこそ真の対話が展開すると言えるのである。勿論できるだけ真剣は避けながらも真面目かつ冷静で穏やかに弁証されることが望ましいことは言うまでもない。

 信仰問題としてみても、特に単一的宗教の国家でない限り、個人の信仰か国家的信仰かの二分、従ってまた公人の宗教行為に公私の別についての分別(ケジメ)があるべきことを認め、当然それを根底にして一々の参拝について議論すべきであると考える外ない。行為についてみるだけでも国家を導くべき公人の公的特定宗教行為と政治的行為や行動が重なり合った場合、恐らく誰もがそうでなければならないであろうが、当然私なども、そのことの真摯な検討即ち厳重な批判が必要であると考えざるをえない。

 政治問題と考える立場の人達も、油断すれば我国固有の伝統的宗教などという事実そっち除けの言説に接しているうちに誤った政治と信仰の二分的論議に乗せられて、個人的信仰自由の前提の上の国内的政治問題と観念させられた上で、知らぬ間に単一信仰的土俵の中に祭り上げられて、何時しか国教制の国家でない限り宗教及び宗教的信念は個人のもので公私の別がなくてはならぬという常識さえ失わせられてしまう。ましてや、安全と安心を並べて言い鳴らしてきた一昔二昔からの此頃特にそうだが、現にみられるように憲法によるまっとうな自国の国際的位置づけにもとづいた国際協調的外交重視の立場と内政干渉排撃の国粋的国益中心の立場との二つにはっきり分けて考えられているような状況では、論争とは言えぬまでも少なくとも甲論乙駁の主張の相克の止揚をはかる本当の工夫こそ必要である。この対立は、旧い西欧伝来の独尊的独立主権重視の、そして往々にして独断的な主張にもとづく力づくな侵略的政治思想の写し的物真似ないし虚仮の一心的に真剣な引き移しと、今後将来の本源他受用的精神即ち言葉の正しい意味における中華中国中心的精神世界を見透し、これに結集する平等友好的国際協調もしくは日本古来の一面とも言えば言える西欧伝来の辺土自受用的連衡連盟的ないし連合的もしくは混淆的歴史性の相克と言ってよい。しかし恐らく日本的な天皇中心的天下形成は西欧的世界の中での同じく島国的辺境英国での聖公会と訳されているアングリカン・チャーチ即ち国教独立とのみ共通するものとみるべきであろう。そしてついでに言っておけば、実に明治維新期及びそれ以降の日本の強い後楯逞しい味方がその英国であったことを忘れてしまってはならないであろう。

 古い言葉で言えば、いままた、合従か連衡かの、あるいは外交を力は正義なりの武力闘争の前哨戦と考えるか、国際問題を互恵平等のための安全な平衡的正義問題として武闘廃止の根本的協調理念を決して失ってはならないとするかのいずれかを択ぶべきかの状況下にあるのだと言わなければならない。安全な平衡といったが、古く顔氏家訓などで語られているような「兵は凶にして戦は危なり。安全の道に非ず」とか孫子の「兵は詭道なり」とを併せて私の言う「兵は詭道なり。安全の道に非ず」という安全の道、単に安泰持続、継続状態的安全、もしくは花狩り的希求的安全などではなく、培い水飼(みずかい)して努力工夫する安全である。即ち兵は完璧な安全の方途ばかりではないとし、今後詳しくその説明を展開してゆくような全性を失わない全的な国家の健全経営の仕方進め方、実現持続の努力行為としての安全の道としなければならず、世界の共存共栄のあるべく求むべき真の道とするような「真の意味十分な意味での安全」なのでなければならない。

 この道は言ってみれば、政治面を主とし、本質的には、少なくとも近代においては個人の自由に属すべきものと考えられる信仰の問題、仏教的に言うならば信心の問題と言うべく、信心と言えば、文字通り超越的に外在する神に従うものでなく、心にもとづき心の働きに応じて、身裏に凝りこごり出来上がってはまた心裡にある情のままに情動として流れ出もする心の問題であるというべく、また自らの心を信じ、それを他己の心の信に拡げ、心を自己他己を通じて変らぬ同じものと観じて全一なる心において世界を表象する精神的問題とも言うべきものなのでなければならない。しかし、この心情の問題をまづ純粋に宗教的な心の問題として取り上げることもなしに、ひたすら精神の問題としていわゆる政治の問題の中に解消してしまう、適切に言えば雲散霧消してしまう政治主導的立場なるものは果していかがなものであろうか。後に述べるように安全・安心という安直な連語はきわめて警戒すべき剣呑極まりないものであると言わなければならない。安心は政治のみの問題ではなくむしろ宗教においてこそ極まるものなのである。政治と宗教の渾淆こそが、心を兵の道へと転じ、武器に置き換え、文の心を軍人的な勇武の心に貶め、精神の向けどころを行正と行政でなくひたすらいとわしくいまわしいあの行征に置いてしまうことにならざるをえないのである。

 凡そ行征に心を置いて総力戦に敗れたいわゆる「戦前」の正しくはまさしく「敗戦前」の日本の滑稽なスローガンのように「億兆心を一にする」とか「一億一心」などと言っても、それは強制か催眠による以外には到底考えられないものなのではないだろうか。

  かつての日本は男子男兒等は言挙げせず、男伊達こそ男道即ち武士道を誇りとしかつ鼓吹しながら、言葉を譌(イツワ)り偽りの道をゆきかねず、実際にも行った、それがかつての日本であった。しかし、其の所謂「斯文」に学ぶ人は言を撰びつつ文の道に従いながら王道をゆく。いやしくも、主(ヌシ)、大人などの主(アルジ・アロジ)は目子算(メノコザン)即ち女子算を男子道とともに超え、智を用いて総を計り宗を図るのでなければならない。然し知を格すことは容易ならぬことであれば、森羅万象に惑乱して浮躁にわたることなく、心を沈め神明を幽賛しては蓍(メドキ)することにもなるが、つまりは性命の理に順うことである。

 万物に妙に為言するものが神に外ならないのであると周易の説卦伝には言っているように思うが、いま、超越的神に従うものとして「信仰」を言い、これを各個に内在しながら共通の根拠である心に従うものとして信を主体的世界の中に取り戻し「信心」と言うのである。神は個々の一心を超えた客観的存在とその働きなのであって、仰ぐものは超越的神を仰ぐのであり、神そのものを含めた世界の「一心作的作為」を否定しようとするものであるのに対し、信心の立場の信では神は精神として心の中にあると言うべきことになる。中国でも神は天にあるのではない。天を仰ぎながらも反っては心を整え、則天去私する心の働きこそ神であるとそれぞれにそれぞれの心を信じながら、万教の帰一するように、寸心が感応し合って諸仏が天心に結び上がって天神として立てられ客観化もされることになるのではあるまいか。

  天にあって理を摂りすべてを支配し地における万物の上にその働きを現すものが神そのものであるならば、一人ひとりの心の内の神は精神となり、細やかにしかし捨てるべきものは捨てながら粋は摂って働くものと考えることができるが、それが一丸一体となってそのうちの「われとかれ」となろうとしながらもなお「われとなんじ」の関係に止まる限り、相互的に照応し合いながらの相補的万華法華の境地が心裡に開くものということができる。しかし、それが超越神の立場に立てば小さなモナドの集まりの世界であろうとも、心の働きをそれぞれの 神としてみる立場からは華厳の荘厳の現実的現象の世界となるのでもあるのであろう。

  これに対して、明治以降靖乱にあって官軍のために死し、その後は膨脹侵略し続けついに八紘一宇的天下国としての國ならぬ圀としての肇圀を目指した近代「軍国」日本のために、死してその英霊が神として祭られ、外国などの存在など許さない神国鎮守の神として護国の鬼の崇めまつられ顕彰されているのが「靖国の神」という特殊な神存在であり靖国神社であるのであるとしか思えないのである。が、今、国家や官から切り離されて民間の結社となった靖国神社の今の宗教祭祀的団体の代表格のいわゆる「神主」とか祭司とかとしての強引で頑ななというか、硬直したかのような姿勢には、日本では今猶天孫として天に連なる現人神の、八紘一宇の主にもならんばかりにもなったと考えざるをえないような天皇の統率の下のまつりごとの二分科である神祇官太政官の分理によるものなのであるが、「豊葦原千五百秋瑞穂の国」と称せられる「わが国」の、しかし実は現代の日本のような一国とはまるで異なる日本西部における五カ国連合の主から大八州国家の主となってやがては六合を併せて、しかし祭政一致の基本を離れた分離による対立的な構造にあり勝ちの内国的勢力争いの延長的姿があるように見えてならない。そして、しかしなおいままた、この二つが、無反省的かつ暴走的にその阿吽の呼吸を合わせかけているようにも見えなくはない。「歴史的」問題であり存在であるが、官営の宮としてばかりでなく、俗にいう「歴史的」としてもまだ「お宮入り」してはいない極々近くの例によれば、これこそが善隣友好にそむく侵略的思想的拠りどころとして機能したもの即ち神変不思議な独善的詐術を生み出して自他国民を訛(イツワ)り瞞(ダマ)して誑かし、国を狂(タブロ)かしたものに外ならない。

  靖国とは招魂社の後をつぐものである。靖国と改めてからの後は鎮護国家というより鎮撫国家というにふさわしくなっているのだと言うことに外ならないが、その際に真を知るべき真の批判の精神に従って靖国神社と護国神社を混同しないように、すべての国家を同一視することなく、そのようにして護るべきというよりむしろ守ってゆくべき国家は一旦は軍事力をもって以前の他の国家を制するものと制されるものされたものと分けて考えざるをえない筈である。しかし国家が自らの批判を忘れれば、やがて目先の利害打算的合理化に夢中になり、しばしばそのような侵略拡大主義に逸って、根本的理性を離れ真の理を失い暴力に及んでしまう場合が多い。そしてついに軍事力によって強制されるのは国民に外ならないことになる。しかしそのような国家は乱暴な暴君暴逆の徒ならいざ知らず、断じて鎮護すべき国家ではない。

  軍事力行使の犠牲になるのは勝ち負けにかかわらず双方の国民であるが、中でも兵器の担い手として消耗されるべき兵員なるべきものとして本命視され、また本命と思い込まされている庶民なのである。中国などは戦争処理に当たって以後の平和のため、恒久的平和建設への第一歩として、惨憺たる戦争の賠償債務の賦課をやめてA級としてランクづけた戦争指導及び戦争への指導責任者の処罰をもって、戦争関係諸国民のための従来型の被害救済責任を戦勝国による敗戦国への追求にかえ、つまり戦争責任のための賠償の賦課をやめ現状をふまえてよかれあしかれ目前のそれを以後の平和のため、恒久平和建設のための第一歩として国家間の問題とするのをやめて古い階級的ゆがみの問題としたのである。しかもそれにも拘らず残念ながら、新紀新生の新世日本の国民は米国の占領下において、他国及び自他国民への暴虐の苛酷だったことを洗われることなく水に流しえて消え去った過去のものと考え、そのような過去とは全く切り離され、断絶した現在とその後の将来的展開のみを考え、その中での自国の国益を根本に据えるに至り、その日本的現代から「すべては現代の歴史」であるかのように振舞おうとする慮外の徒輩の横行流行が見逃しがたいほど目立つようになったのである。

  そして、民主主義国家になり、市場経済下での民営化ばやりの今日なお、神社関係者と自己批判的精神を欠いた感情もしくは情緒的というべき総理としての職務ばかりかその名の実を積極的に明らかにしようとして熱心な首相とが衷心からの行為として、民間結社としての性格変更もままならないままそれ以前の侵略国家日本の与えた「靖国」神社を名乗り続け、実は日本の神社はすべてそうだとも言われるように祟り神的神をまつる性格であるとも考えられる昨日までのその靖国神社を前面に押し立てるかのように、正にその神社を参拝しているのはどうしてなのか。それが延いては新憲法下の新生日本の中の神社でありながら、新生日本を親しい近隣からますます遠のき離れさせ、日本そのものにとっても恰も外国即ち疎遠無縁な縁遠い国としての疎外された外つ国の日本結社であるかのようになってゆくか、或いは獅子或いは師子身中の虫として新世日本とは本質的に相容れない過去という別世界からのエイリアン的結社であるかのように積極的に排除して行かざるをえないものになってしまわざるをえないのかも知れないのである。

  今、本来犠牲とされた英霊に対する深い哀悼の誠をしめやかに捧げるべきところであるにもかかわらず、譬えて言えば、軍国の鬼のみか軍国の弥栄の神をも秘かに併せ祀ってしまった上での、つまりは反省の鬼を囚えおく旧軍の将による営倉的「ひとや」とも譬えられるべきものともしてしまったと言わざるをえない靖国の神社への公々然たる国の総理の参拝による祭りは対内的にもましてや対蒙恥被害各国問題として、‘和を忘れた大和心’の表徴としてみざるをえない。そしてもしそうならば、万朶(バンダ)の桜の歩兵の悲哀を貫き通しての七生報国思想の鼓舞は新生日本のあり方とは矛盾するものと見て、新たにもしくはまた新ためて変革を迫られるべき状況を招くものだと言わざるをえないであろう。

  神社に祭られるべき人は怨霊となって君国に讐をしかねないものなのだと言い切るかに思わざるをえない人もいる。もしそうなら靖国神社も怨念をもって七生報国の鬼と化すべき鎮守の屋代なのかも知れないが、草葉の陰に留まって鬼気迫るかも知れぬ幽鬼に日の本の座を与え幽を明にかえて鎮坐せしめ、明神に従わせる夜之路(ヤシロ)の明器の一であることこそ靖国の社の実といえるのかも知れぬ。しかしそれでは時代をこえて祭られるべき一般の護国の神の存在を、遂にはかえって、もとは奉(マツロ)わなかった神と同列に貶斥してしまうことになりかねない。そしてそれは営々とした戦後日本の伝統的平和国家体制と政治を根本的に自壊的に破壊しようとする結果を惹起するに外ならないのではないか。古い明治期から昭和中期までの日本の国策の神社は栄えても、むしろ新しい日本で汚れなき愛国の英霊の尊厳が些かたりとも減殺されるようなことなどあってはならないであろう。したがっていわゆる靖国神社的「護国」の国とは何であったのか、国民に喜びと安らぎを、安全をまるまる与えるべき真の国を真の神明に誓って、靖国のあり方および護るべき国のあり方を白日の下に現わならしめ、幽界の霊となった「英霊」を真の護国のためにその忠勇を顕彰し称えるべきではないのか。それこそ今の今の国民としての対外的どころか対内的義務と言うべきなのではあるまいか。そしてもし日本国総理の責にある小泉首相に何がしか匹夫の勇以上のものがあるならば、その志を広く世界とは言わずともせめて国民の前に明らかにすべきである。闇から闇に葬ってはならない。 

  いやむしろ、靖国神社的ならば、それを立正安国的「安國」神社として再出発させ、広く戦禍の中で苦痛を強いられ惨状の中にたたき込まれた日本国民及び諸系他国民に対する贖罪慰励に吝かでないようにする工夫こそ大事でありかつ大切であるのかもしれない。

  それというのも明治維新前夜のアジア制圧ないし征服競争によって触発されて過激化したあるいは平和なと言えるような国家状況を三百年以上続けることのできない神国日本の、むしろ一貫した伝統的かつ継続的な拡張的争乱に再び転じて対外的侵略にうって出たことは決して意外なことではない。俄然としてというふうに思われるにしても徳川時代を除いてみれば、秀吉の業績の継承ということもできなくはない。新しい侵略は西欧社会に学ぶものではあるが、決して負けをとらぬ超倫理性を特長とするといってよい。戦後の統治思想の変革などは、国体変革にまでは決して及ばなかったのではないだろうか。人間化したものの尚神性を根底に秘めたまま存在しつづける天皇の象徴的威力とそこから流れ出る一種の明々白々たるカリスマに即してみれば、国体変革などは反現実的な邯鄲の枕をあてがわれて見させられた短か夜の夢であったという外ないと思わざるをえない状況に今再転しようとしていると思われてならない。そもそも国体変革の民主主義的革命者マッカーサーなど、却って真に徹底した「民主」国家とも言えなくもないソビエト連邦もしくはソビエト同盟との激突の間に朝露のように消えてしまったではないか。今また神国日本の言葉が指導者の口から漏れてもくる。げに万世一系的な天つ日継ぎは窮ることないかの如くである。悲喜のいずれにしても感嘆に耐えない。平和国家日本のうちになお潜伏し、今では顕在化しているかに見える乱流が、今再び正流を心に称して花綵列島日本からはみ出してゆこうとし、それを整流とも致しかねない虞れなしとしないのである。しかしそれを虞れ警戒する勢力もまた今なお強いから、その今のうちにその逆流を阻止してしまわなければならないだろう。総理の公公然たる参拝賛同の伯仲せんばかりの勢いを防ぐには、靖国の語の何たるか、また靖国神社の真の姿がどんなものであるかを、靖国の神そのものとA級戦犯の鎮まりきれぬままの魂魄もしくは怨霊とをしっかり区別しながら、靖国の神そのものとは別にそれとしてしっかり見定められるようになってゆかなければならない。何なら後者の神は怨霊を鎮める神社に別に祀るのでなければ、既に成立って潮流となっているポピュリズムや真のところは無責任な劇場的政治の投げ槍的なしかし大向こうの大喝采をえさせしめるのである。

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2005.12.05.

2005.12.05.

靖国問題の本質

辛島司朗