2005.12.05.

(2)

このごろ「神社に参拝する」といわずに「神社を参拝する」と言う。神仏一体という言い方には耳なれてはいても、神と神社が一体とは私には全く考えられない。しかし英霊の慰霊顕彰問題は現状の日本ではいわゆる神社側の「宗教的」として譲ろうとしない主張によって霊の分祀分霊が問題であるものとされ、もしくはなっているようである。ここで所謂神社は正しく神の座ではあるものの、そこをおいて外にはありえないもので、神を神たらしめるものに外ならないと言って当る。神と神社は自然当然の結びつきではなく、英霊を神に祀るかどうかは社会の中の生き残った後人のなすところ、若しくは事物に神を感得した人のするたまたまの思いや結びつけにすぎないからである。そう、戦争中の靖国神社は敗戦にむかって過激の度を増したデマゴギーのアジテーションを教育のすべてにしてしまった時代の子の錯覚もしくは眩惑の幻境であったのである。


 靖国問題はもっぱら宗教問題であるかの外見を呈することになっている。したがってもし「分置」もしくは「分霊」してはならぬものを、別の場所の別の施設に分祀してしまったら、どういうことになるのか、霊にどのような非礼をなすことになるのか、それともどのような祟りが心配されるのか、何はともあれ宗教問題として考えるにはただ既成のdogmaを絶対視して混乱を深めるよりも、そこのところをまづ深重かつ徹底的に考慮しておく必要が現実問題として欠かす事が出来ないように思われる。だがここで始めから明らかにしておかなければならないことは、現在呪文のように不可触的聖語化しているいわゆる「構造改革」も含めて、極端には革命を含めて凡そ変革はたとえいかに微々たるものにせよ、必ず伝統の変改もしくは廃棄を意味するのではないか、ということなのである。もしありうるとすれば「如何にして伝統に反することのないような伝統の変革が可能になるのか」、それこそが、歴史的変遷と永遠との間の変化と存在をめぐる大問題であると言わなければならない。


 しかし、Churchという言葉の語源からしても明らかなように、カソリックでは神のいわば濃密に居坐すところが教会であるということになるかのようであるが、逆に仲保者であることこそが真の教会ならば、階層社会的組織体としての国家stateに対立するもしくは対比される組織となり、そこに神がいますところとばかりは言えないのである。イスラムのモスクにみるように、「教会」は信徒の集り励ましあい磨き合うところである。教権の在処であることこそ教会の本質であり、それぞれの仲保者的施設といってもよい。カソリックとは少し違うにしても、厳密なプロテスタントの考えによれば、神そのもののいますのは偶像の内でもなければ偶像の安置されている家の中でもなく、神の寓する一々の心のうちであるとしか考えられない。


 神の家は神を求めて神の働きをわが心のうちにとりとめておくもの、またはそれらの器のまとまりとしての「いえ」即ち「いへ」の「うち」ないし「こころぬち」にある以外にどこにありえようか。雨露颱風を防ぎ凌ぐ屋代としての「社」に鎮座し日本の神社としてそこに祀られている日本の神にも御神体らしき体はない。そしてあってあるらしくない神の「権威」とその世俗的支配は権力によらなければならないが、権力による支配は大小軽重の違いはあっても本質的に闘争的であり、また暴力によって覆されることになる。そしてもしそのような暴力的権力の性格を備えるに至れば少なくとも世俗的利益にもとづく偽瞞的な似而非(えせ)宗教、似而非もしくは‘偽製’的信仰と言わざるをえないことにもなる。


 これに対して真に宗教的な支配は国家に限らず、すべて理知的であれ驚嘆恐怖によるものであれ、本来もしくはそれとも別であっても恐らく必ず自他ともにそれと認めうる信による心服にもとづくものといってよい。確かに、教義によるよりも衆庶にみるようにまづ儀式によって形をなし養心にいたるともいえる。それは子路の孝行としての行いらしきものを評して礼の形から入って逆に礼の心を養って真の礼にもいたると言っている孔子を引き合いに出すまでもなく、形は心に連なるものであることは否定すべくもないであろう。ただし真に心からのものでないものには、本心からでないと言うべきことになるが少なくとも受身に理解するだけで、生活に根ざした判断力とか不退転の決意を欠く場合はそもそも真の心を欠き本心を失っているのであって、結果的信仰はあっても真の信心はないと言うべきであろう。


  しかしてその時のその心は何なのか。しかしそれにもかかわらず正しくは神の家は真には心裏にあるといえるのではあるが、同心同志の見易い統合の象徴としては神社に、それも正しくは土地そのものとしての社ではなく、土地の上に見られる物実(モノザネ)の一種である家とか所帯もしくは家中(カチュウ)のシンボルともまた代物とも見做しうるものに依り坐してあるともいえるのである。


 もとは土着神に発しながら後に一般化した神の坐すところとしての社とは、領地領域領国の治の中心かつ象徴であったところに象徴としての神の宮居が定められて神宮ともなり神社ともなったものと思われるのであるが、わざわざ宮処、宮所に外ならないものの象徴である神社神宮に出かけて改めて参拝するのは離れてあるものが新たな臣属のあるいは変わらぬ臣属のしるしとして重ねて伺候することに外ならないと思われてならない。


 上なる神の宮居して坐しますところはすでに、中国で皇天后土とか天神地祇とか対語化されて言われているうちに、軈(ヤガ)て日本の皇室もしくは皇家においても、天地の上下が天と海が水平の彼方での一致一体化に伴ってか道教的日本皇室の特性の故にか易く天にのぼせられ、地の限りをこえ地を超えた天地六合の神として遍く伐(キ)りまた砥ぎ従え、国つ神という地の神即ち土地の神としての神をも兼ねかつ超えるものとなり果(オホ)しもしくは思(オボ)してしまう。そして直接的な世俗的支配力を失っては或いは失ってもなお祭り上げられ利用されて、天地玄黄の黄土の中天に極まって遂に地下に降りたものが黄泉黄土の閻魔王もしくは閻魔天となるなどして、昇華昇天を遂げたものが黄袍を纏って玄妙不可解な皇帝となり紫衣を纏っては天皇となり、とにもかくにも中央で地黄の極まって天に化するのと同時に地は地久の地平となって、果てにおいて天と一体化するのかも知れない。


 日本にあっては天降った天孫が天皇となったのかも知れず、また大君的でもある天下人を地皇として諸支配者を超越するものとしてその上に超越する至聖として天皇にまで上昇させながらそう称させるのかもしれない。しかし、例えば封建の昔、近くに居住を移した伯などは、多くの国に於いて当然に本来の領地の直轄性を失ってしまい易くなるが、遂には国を乗っとられなどして象徴的社も徒(あだ)し国の社に併祀され併社化されてしまいかねない。そうならぬ限りやはりもとの領地をterritoryとしてでもなお身に即して従えるものでなくてはやがてただの従属者になり切ってしまわねばならないであろう。しかしあくまでも本源でなく支系であり、日を本におきその下にある国として、日本の考え方は別で、まづ天のあってその天の降臨して地平(サダ)まり、のちに四海波静かに水平を致して天と海(アマ)が一つになると考え、一系の日継を伝えてきたとも言えなくもないのが日の下日本のことなのかも知らない。


 本質的に「status」に外ならないstateは言うに価し言挙げするに足りる家柄であり国柄のもののことである。少なくとも国民国家以前においてはそうであった。日本でこれを何の疑問も躊躇もなくただただ国家とばかり訳し当てたものとして済ませてしまうのはとんでもない謬りと言わねばならない。敢えて言えば訳し宛てただけのことである。

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2005.12.05.

靖国問題の本質

辛島司朗