ニセモノ

 中国はニセモノ天国といえる。そもそもニセモノに対する罪悪感が希薄のようだ。
先般、日本の報道でCDの海賊版についての記事が出ていたが、日本ではニセモノはほとんど皆無に近いのに対し、東南アジアではニセモノが多く、中でも中国ではその
95%がニセモノであるということが書かれていた。確かに多いように思われる。一般的にCD一枚の相場は200元くらいだが、売っているのはほとんどが10元前後である。もちろん買う人も承知の上である。本物かニセモノかは関係ないことであり、音楽が聞ければよいと考えている。
   写真のフィルムもニセモノが多い。外箱やカートリッジは本物であるから、恐らく、廃品利用で作られたとも考えられる。ニセモノも全く写らない訳ではないが、感度が非常に悪い。値段は本物と同じで売られているから、余計に腹が立つ。
   タバコもニセモノが多いといわれている。タバコの場合は、流通ルートが複雑であり、密輸入品も多いことから、正直なところ、どれが本物でどれがニセモノなのかわからない。今、こうして一服つけている萬事発(マイルドセブン)も、どうやらニセモノのような気がする。火の付きが悪い、葉の詰まりが均一でなく固まりが多い。
   そして、最も問題なのがお金のニセモノ、つまりニセ札である。相当の数が流通していると言われている。こんな笑い話も聞いた。
        『ニセ札を検査する器械を売った人が、受け取った代金を確認するのに、
          この器械を使わずに、透かしてチェックした。』
        『銀行から受け取った札の中にニセ札があり、交換を要求したが応じて
          くれなかった。どこか他のところで使ってくれとのことだ。』
   よく街角の告知板にニセ札の見分け方が掲示されている。やはり高額紙幣である
100元と50元札に多いという。新札には従来のスカシのほか、金属の糸を挿入して発見しやすくしている。とにかく怪しいと思ったら、早めに使うことが生活の知恵なのかも知れない。
                                                                                    (1995年6月記述)

阪神大震災

   (1995年)1月17日未明に起こった「阪神大震災」は、中国においてもテレビや新聞で連日報道された。ただ上海では地震というものがないためか、いまいちピンとこない人も多いようである。上海には地震がないといわれています。なぜなら、地震は岩盤がズレて起こるものですが、上海の地下には岩盤がないのだそうである。従って、地震は発生しないということになっている。しかし上海以外では、1976年に北京郊外の唐山という町で大きな地震が起こり、街全体が瓦礫の下となり、実に24万人もの死者を出すという大被害が報告されている。
   万が一、上海で地震が発生したら、今回のような震級(マグニチュード)7.2という大きなものでなくても、破滅状態になってしまうだろう。一般の建物はビルでも内側はただレンガを積んだだけのものがほとんどであるから、一部の基礎工事がしっかりしている外資系のホテルやオフィスビルを除いて、まったいらになってしまうことでしょう。
   今回の地震では、実に5,370余人という多くの犠牲者が出ましたが、その中には、上海出身の中国人も幾人か含まれていた。上海市人民政府・外事弁公室(注:日本の国際交流課に相当)から留学していた衛紅(Wei Hong) さんも28歳という若さで亡くなられた。上海では新聞に追悼の記事が載った。この方のことは、上海に駐在している日本人の間でも多くの人が知っており、天皇陛下が上海に来られた時には、衛さんが担当してご接待したこともある。小生も、一年半ほど前(注:1993年10月頃)に空港で彼女にお会いしたことがあり、名刺を交換している。
   美人でもあり、日本語はピカイチうまく、誰からも称賛され将来を嘱望された人であったということです。可哀相だったのは、数ヶ月前に結婚したばかり。新婚ホヤホヤの身としては、今回の留学は辞退したかったらしいということを複数の人から聞いている。ご冥福をお祈り申し上げます。  
                                                                                   (1995年2月記述)

無錫”無情”

   『上海、無錫と汽車に乗り、太湖のほとり無錫の街へ』と歌われる、中山大三郎の「無錫旅情」で有名な無錫は、上海から列車で約2時間の距離にある。上海から近い観光地であるので、一度訪ずれなければ、、、、と思いつつ、なかなか実現できなかったのだが、ようやく行ってきた。
   琵琶湖の3.2倍もある「太湖」という湖が最大の観光地ではあるが、最近は「三国志」のテレビドラマを撮影したセットを利用した「三国志城」(いわば、太秦の映画村)や、「世界奇観」といってパリの凱旋門やローマのコロッセオのミニチュアを集めた施設が人気がある。
   ホテルにチェックインし、部屋で一服してからレストランで夕食をし、部屋に戻ってからが大変。持ってきたボストンバックの荷物は、すっかり無くなっているのである。最初はメイドがどこかへ片付けたのかと思い、部屋の隅々を確認してみたが、やっぱりない。やられた!
   すぐホテルのセキュリティに連絡し、係員に来てもらって再度チェックすると、部屋の鍵が壊されている。部屋に入った時には暗くて気づかなかったが、刃物のようなもので木製のドアを削って侵入したようである。不幸中の幸いだったのは、現金とパスポートだけは身につけていたので助かった。とにかく、カメラ2台、望遠レンズが惜しい。あとは着替えのセーター、替えズボン、髭剃りなどの洗面道具や下着など。
   公安の係官と通訳を介しての被害届の手続きは夜中までかかった。どう考えても出てくる可能性はなかった。3泊の予定の旅の初日だったので、翌日はとりあえず必要最低限のものを購入して旅を続けた。大都会の上海だけでなく、地方の都市まで治安が悪くなってきている証拠であろうか。
                                                                                     (1995年4月記述)

生活列車

   (1995年)9月に貴州省へ旅行してきた。
日本人観光客は、まだ少ないが、中国で一番といわれる「黄果樹の滝」があります。
   省都である貴陽から遵義という町へ行くときに列車を利用した。遵義という町は、毛沢東のいわゆる『長征』の途中、共産党拡大会議がここで開催され、毛沢東が指導者としての地位を確立した地、いわば「共産党の聖地」として有名である。
   貴陽からの交通は、列車の便も悪く、片道は鈍行普通列車を利用するより仕方なかった。5時間の旅である。座席はもちろん指定席ではない。東京の山の手線のように、座席が車両の両脇に一列である。始発の貴陽から乗り込んだので、一応席は確保できたのだが、座席というよりもベンチに座っているような感じだ。窓に対して後ろ向きとなるので、外の景色を見ていると首が痛くなってしまう。普通列車なので、各駅に停車となる。列車内での観察記、列車内人間模様です。

   途中は山間の農村地帯。どこか沿線の町まで行商に行くのだろうか、野菜を運べるだけ積み込んだおじサンやおばサンが乗り込んできます。車両の真ん中が広くスペースをとってある理由が分かります。たちまち通路は野菜の籠で塞がれてしまいます。車掌が、切符の検札に回ってくる。切符を持っていない輩が結構多い。無賃乗車をしようとした者も多いようだ。しきりと言い訳をするが、車掌は容赦しない。厳重な叱責を受ける、というよりは罵られたあと次の停車駅で強制的に降ろされていた。
   さっきの野菜の籠については、どうやら持込料が必要のようだ。お客の農民と車掌が大声でやり取りしている。「持込料は3元のはずだ」「いや4元だ。4元払え」、というようなトラブルのようだ。本当はいったい何元なのかは知りようも無いが、1元を巡っての攻防にお互い譲らない。だんだん周りに他の乗客が集まってくる。騒然とした雰囲気となってくる。結局、農民は4元払わされた。もしかしたら、農民もダメモトで粘っていたのかもしれない。
   二つの背負い籠いっぱいにバナナを入れて、天秤棒で運ぶお兄ちゃんが乗り込んできた。どうやら座席に座ろうとする意志はないようだ。そのうち、お兄ちゃんは車内販売を始めた。いかにも重たそうなバナナの籠を肩で運びながら、乗客に声を懸けながら、いくつかの車両を行ったり来たり移動しはじめた。しかし、なかなか売れないのかバナナの量は一向に減らない。そのうちにお腹が空いてきたのか、デモンストレーションなのか、自分でバナナを食べはじめた。その様子を見て、やっと何人かが買って食べた。
   正規の車内販売もある。5時間も乗るのだから、お腹も空いてくる。ホッカホッカの饅頭、このへんの地方の人気商品であるという豆腐を芥子薬味で揚げたよなもの。見るからに辛そうである。子供が、穀物か果物か分からないが、イモのような物を美味しそうな顔もせずに食べていた。
   中国にも”おばタリアン”がいた。座席はすでにギュウギュウ詰めとなっている。隣りに座っている農民のおばサンの作業衣の汗の染みた臭いが伝わってくるほどなのに、平気で割り込んでくる。もうこれ以上は座れないと思っていたのに、何とかなるものだ。初めのうちは、止まり木の小鳥のようにチョコンと座っていたかと思うと、いつの間にやら、我がもの顔で深々と座り直していた。
   窓から車窓を眺めていても、さして変化のない景色である。退屈な時間を紛らわそうと考えるのも無理はないが、他人に迷惑を懸けるのは困ったものである。まぁ、別に危害を加えるわけではないから許せるが、大声で歌いはじめた若者がいる。すっかり、自分が歌手になったように陶酔しているようである。一曲だけに留まらない。まるでテープを聞いているように、次から次へと曲が変わっていく。まるで「人間カラオケ・テープ」。A面とB面の曲(?)をすべて歌い終わるまで約1時間。延々とワンマン・ショーは続いた。
   友達同士で飽きもせずにしゃべり続ける人。盛んにペッペッとつばを吐くおばサン。もくもくと新聞を何度も何度も読みかえしている人。その新聞を横から覗き込んでいる人。一心不乱に眠りこけている人。テレビゲームで熱心に遊ぶ子供。列車や乗客の服装からは、日本の20年から30年前の情景を見ているようであるが、テレビゲームがどうにも不釣り合いに映った。果たして私は、彼らにどのように映ったのだろうか。
                                                                               (1995年12月記述)

懐かしの上海
1994年へ
トップへ
1996年へ

高架道路を建設前の
延安路(正面の白い
建物が銀河賓館)

江南地方の春

ニセ札撲滅のポスター

ニセ札撲滅を
促す街角の掲示板

貴陽から遵義までの
普通列車内

延安路

トップへ

其之弐(1994年)へ

其之四(1996年)へ